別の記事ではハワイに伝わる伝説をご紹介していますが、今回は、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」に出てくるさそり座のお話をご紹介します。
別の記事ではハワイに伝わる伝説をご紹介していますが、今回は、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」に出てくるさそり座のお話をご紹介します。
宮沢賢治はさそり座の赤く燃える星アンタレスに特別な思いをいだいていたようなんです。
「銀河鉄道の夜」で「さそり座」が登場するシーンはこんなふうに描写されています。
川の向う岸がにわかに赤くなりました。
楊の木や何かもまっ黒にすかし出され、見えない天の川の波も、ときどきちらちら針のように赤く光りました。まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃され、その黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その火は燃えているのでした。
「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう」ジョバンニが言いました。
「蠍の火だな」カムパネルラがまた地図と首っ引きして答えました。
こんな感じなんです。
ルビーよりも赤く、リチウムよりもうつくしく(リチウムというのは花火の赤い色を出すのにも使われる物質です)、そして、酔ったようになって燃えている・・・。
宮沢賢治はアンタレスを、「蠍の火」と呼んでいるんです。
このあと、物語はジョバンニとカムパネルラ、二人の少年と、銀河鉄道の乗客である1人の少女との会話シーンになります。
この女の子もとても不思議なキャラクターで、この子は、弟と、そして二人の家庭教師らしき青年との三人連れで登場するんですが、この三人は、乗っていた大きな船が氷山に衝突して沈没してしまい、天に向かっている途中だというんです。
つまり現実世界では亡くなってしまっているんですね。
そして、この少女が、さそり座について「お父様から聞いたの」と言って、こんな内容の話をします。
むかし、バルドラの野原ということろに一ぴきの蠍がいました。
小さな虫などを食べて、命をつないで生きていましたが、あるとき、天敵のいたちに見つかってしまいます。
さそりは、一所懸命逃げますが、とうとういたちに押えられえ、食べられそうになってしまいます。
その時、とつぜん目の前に井戸があってその中に落ちてしまいます。
どうしてもあがることができず、さそりはだんだん溺れていきます。
「そのとき、さそりはこういってお祈りしたというの」と少女は言います。
ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああ、なんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次には、まことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをお使いください。
いつか蠍はじぶんのからだが、まっ赤な美しい火になって燃えて、夜の闇を照らしているのを見たといいます。
「今でも燃えているってお父さんおしゃったわ。
ほんとうにあの火、それだわ」と女の子は言います。
そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。
と宮沢賢治は綴っていきます。
やがて、この少女たちとの別れがあり、その後、ジョバンニはカムパネルラにこういいます。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」
印象的なことばですねえ。
「うん。僕だってそうだ」とカムパネルラは答えます。
この「みんなの本当の幸(さいわい)」というフレーズは、この物語の中で何度もでてきます。
銀河鉄道の夜というお語は、読み方によっていろいろな側面がありますが、主人公ジョバンニが銀河鉄道に乗って様々な人々と会って、”ほんとうのみんなの幸せ”ということを意識するようになっていく、心の成長を描いた物語とも読めます。
宮沢賢治じしん「みんなの本当の幸せ」を考え続けた人ですから、燃えるさそりの祈りやジョバンニの決意、なおさら胸に響きますね。
さあ、南の空の低いところ。赤く燃えるさそりの火、さがしてみませんか。
晴れてさえいれば、アンタレスはきっとすぐに見つかるはずです。
「まことのみんなの幸(さいわい)のために…」と祈りながら、自らまっ赤な美しい火となって、音もなく燃えているさそり。
そして、みんなの本当の幸せを探しに行く、と誓ったジョバンニ。
いかがでしょう。そんなお話を思い浮かべながら、晴れた夜には、星をみあげてみませんか。