浜松復興記念館 スタッフ 水谷貴美子さんにお話を伺いました。
太平洋戦争において、艦砲射撃を含めて27回にも及ぶはげしい空襲を受け、市街地の大部分が焦土と化した浜松。
軍需工場や、東海道および東海道線という国内の大動脈の存在があったことに加え、国内主要都市を空襲する侵入経路上にあったため、帰りがけに余った爆弾や焼夷弾をぜんぶ落としていったともいわれ、都市の規模に比してきわめて甚大な戦争被害を受けたまちです。
一面の焼け野原のなか始まった戦災復興事業の完了を記念して、昭和63年に開館した浜松復興記念館。
現在の浜松の発展の支えた復興の記録と当時の市民の姿を保存・展示し、浜松大空襲や当時の市民生活、文化、町並の変遷を後世に伝えるとともに、復興の記録を通して浜松の発展と将来について考えていただこうという施設です。
戦時中の街や市民の姿を伝える写真や、生活用品・爆弾の破片などの実物、また、戦後から高度経済成長にいたる、浜松の再建と躍進を支えた市民生活を伝える生活用品や模型、写真などの常設展示にくわえ、さまざまなテーマで「昭和」という時代の浜松の風景を紹介する企画展を開催しています。
今回ご紹介いただいたのは、シリーズ展「昭和の浜松写真展」。
これまで三回、「浜松まつり」「三本のプラタナスの木」「東海道線が高架になったころ」というテーマで開催されてきました。
ちなみに、三本のプラタナスとは、かじまち通り(当時は御幸通りといいました)に植えられていた街路樹のうち終戦まで奇跡的に生き残った三本で、のちに「市民の木」とされ、今も大切にされています。
その木々が見続けてきた昭和の浜松の歴史を、写真で振り返ろうという企画でした。
そして、現在開催中の4回めの展示が「戦前 街の風景」。
図書館や博物館からお借りしたもの、「元城校十九年会」の皆さんのご協力でお借りしたものなど、戦争で焼け野原になる前の浜松の風景や、今では見ることができない建物などを、きわめて貴重な写真パネル30枚で紹介します。
オンエア中に何点か拝見しましたが、たとえば伝馬町交差点から連雀大通りを望む写真…いまメガネスーパーのある角はパン屋さんだったんですねえ。
また、鴨江から駅方向を望む写真には、今も残る、現鴨江アートセンター/旧鴨江別館、当時は警察署が、平成13年に解体された望楼を備えた姿でそびえており、当時は望楼から市内が一望できたといわれるのも納得です。
などなど、じつに興味深い写真ばかり!
単に昔の風景を展示しているだけでなく、比較しやすいよう、現在の写真と並べて展示されていて、分かりやすい構成になっています、と水谷さん。
これは嬉しい配慮ですね。ぼくもぜひ、会場でじっくり拝見したいと思ってますよ。
会期は3月23日(日曜日)まで。午前9時〜夕方5時、月曜休館、入場無料です。お問い合せは053-455-00815まで。
復興記念館をご存じなかった、入ったことがなかったというかたも、この機会にぜひ足をお運びください!