区切りの季節 〜「会計年度」とは?〜

3月も終わりに近づいて、明後日からは4月です。
いまごろは「区切りの季節」というイメージがありますよね。

年度末から年度はじめへの変わり目、年度替わりの時期です。
桜とともにそれまでの年度が終わって新年度がスタート。
環境も変わってフレッシュな気分で新しい生活がはじまる。
なんだか情景が目に浮かぶようです。

いうまでもなく、カレンダーにおける1年は
1月1日にはじまって12月31日に終わりますが、
現代の日本にはもう一つ、
4月1日にはじまって3月31日に終わる1年があります。
これは「会計年度」と呼ばれますが、
単に「年度」と言っても通じるほど生活に浸透しています。

さてそれでは会計年度とは何でしょうか。

まず「年度」とは、ある特定の目的のために規定された1年間の区切り方をいいます。
だからじつはいろんな年度があって、会計年度はそのうちのひとつなんです。
ならば「会計」とは何かというと、この場合では官公庁の予算の執行をさしています。

つまり会計年度とは
「日本の官公庁が設定した4月からはじまる1年の区切り」
ということなんですね。

わが国において、カレンダーの1年と会計年度が分離したのは明治に入ってからのことです。
それまでは落語によくあるように大晦日が経済活動の区切りでした。
大晦日、お米やさんや酒屋さんが長屋に集金に押し寄せるなんて噺がありますよね。
社会全体がそうでしたから、「会計年度」と「カレンダーの1年」が一致していたということです。

明治になって2年めのこと。
新政府は会計年度という規定を設けて「10月~9月」という区切りにしました。
ところが数年後には「1月~12月」に、さらに「7月~6月」と、何度か変更されます。
理由はよくわかっていないようですが
変更に振り回されて大変な思いをした人も多かったことでしょうねえ。

その後、明治19年=西暦1886年に、
現在とおなじ4月1日から翌年3月31日までという形になり、これが定着します。

この区切り方を採用した理由のひとつに、
当時世界最強国のひとつだったイギリスの会計年度に合わせるというものがあったんだそうで、
ですからイギリスは4月はじまりの先輩なんですね。
ともあれ、わが国の会計年度は明治の半ごろに今のような区切りになりました。

ところでもうひとつ、きわめて馴染み深い年度がありますね。
学校において「学年」の区切りとなる「学校年度」です。

これも昔からあったものではありません。
江戸時代から明治の初めごろまでは、入学や進学の時期は流動的で
クッキリとは決まっていなかったようです。

例えば寺子屋、あるいは蘭学塾などは、基本的にいつでも入学できましたし、
能力や学業の習得度合いに応じて勉強が進んでいきますから
みんなで一斉に進級するということもありませんでした。

その後「大学」という教育機関ができたとき、
外国に倣って「一斉入学・一斉進学」という方式を取り入れました。
この時は9月はじまりの8月おわりだったそうです。

その後、さっきお話した会計年度が4月からになったさいに、
当時の文部省(現在の文部科学省)の指示で、
教員養成機関だった「高等師範学校」が4月はじまりになります。

これは、国の会計年度はじまりである4月に合わせないと
お金の処理が不便になると考えたためだったようで、
これ以降、学校運営に必要な補助金を政府から受けるために
国の会計年度にあわせるという方式が全国に広がっていきます。

してみると、冒頭に言った
「桜とともにひとつの区切りがきて新たな生活がはじまる」というイメージ、
これってじつはけっこう新しいものだったんですね。

でも、次第に暖かくなって活動的になる時期であることも相まって、
なんだかとても似合っている、そんな気もします。

とはいえもちろん、
カレンダーの1年とは別の1年があることには不便な面もいろいろあります。

なので昭和30年台後半、1960年台初頭に、
ひとつにしようじゃないかという議論もありました
これを主張したのは当時自民党の政調会長だった田中角栄元首相でした。
が、変えなくてはいけない法律がたくさんあって無理、
ということになったんだそうです。

歴史が浅いことが意外に感じてしまうほど生活に浸透している
「4月はじまり」の会計年度と学校年度。


満開をむかえた桜を眺めながら、
その意味についてあらためて考えてみるのもいいかもしれませんね。

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