さて、かんむり座にまつわる物語です。
その昔、エーゲ海に浮かぶクレタ島と、ギリシャ半島のアテネ、アテネというのはこの時代、ひとつの都市がひとつの国家を形成する、いわゆる都市国家だったんですが、この二つの国が戦争をしたことがありました。
このとき敗れたのは、アテネのほうでした。その結果、アテネは、毎年、少年と少女を7人ずつ、クレタ島の王の元へ人質として送らなければならない、ということになります。
大理石製のミノタウロス像
“Partially Restored Marble Statue of Minotaur”, Roman Copy of Work Attributed to Myron, 5th C. BC” by Gary Lee Todd, Ph.D. is marked with CC0 1.0
この7人のこども達は、怪物「ミノタウロス」の生贄として捧げられることになっていました。ミノタウロスというのは牛の頭と人間の体をもっていて、クレタ島の王宮の地下に広がる巨大な迷路「ラビリントス」の奥深くに隠れすんでいる怪物です。
この恐ろしい生贄の風習をやめさせようと立ち上がったのが、アテネの王子テセウスでした。テセウスは、みずからが人質の一人となってクレタ島に乗り込んで、ミノタウロスを退治しようと考えたんです。
テセウス(部分)
“Theseus Defeats the Centaur” by Antonio Canova (1804–1819), Kunsthistorisches Museum CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons
しかし、ミノタウロスが住んでいるのは、迷宮ラビリントス。一度足を踏み入れたら、二度と出てくることができないという巨大な迷路です。
ということは、たとえミノタウロスを退治できたとしても、出てくることはかなわないかもしれません。 そこへ手を差し伸べたのが、クレタ島の王女、アリアドネーでした。
人質としてやってきたテセウスは、クレタ島の王の前に引き出されます。その場に居合わせた王女アリアドネーは、テセウスの凛々しい姿を見て、一目で恋に落ちたんです。
ミノタウロスを倒して、生け贄のこどもたちを救い出す、というテセウスの決意を聞いたアリアドネー、どうにかして彼を助けたい、と考えます。
アリアドネーはテセウスを迷宮の入り口まで案内すると、まず、隠し持っていた剣を彼に渡します。人質としてやってきたテセウス、武器はなにも持っていませんからね。
そしてさらに毛糸の玉を渡しました。糸を入り口に結びつけて、ほどきながら迷宮を進んでいき、ミノタウロスを倒したら毛糸を伝ってもどってくるように、と教えたんです。
テセウスとアリアドネの神話が描かれた大理石の石棺
“Marble sarcophagus with garlands and the myth of Theseus and Ariadne” by peterjr1961 is licensed under CC BY-NC 2.0
テセウスは、なぜ自分のためにそこまでしてくれるのかと尋ねました。アリアドネーはこう答えます。
「どうか私をあなたの妻にしてください、そして一緒にアテネへ連れて行ってください。私はもうこの島にいることはできません。あなたのそばを離れたくないのです」
その思いに感動したテセウス、無事目的を果たすことができたら彼女をアテネに連れて帰ろう、と約束します。
テセウスは毛糸の玉をほどきながら迷宮の奥へ奥へ進んでいき、首尾よくミノタウロスを倒すと、ふたたび毛糸を伝って、無事迷宮を抜け出すことができました。
ちなみに、このミノタウロスが住んでいた迷宮ラビリントスを作ったのが、ギリシャきっての建築・工芸の名人であり発明家でもあるダイダロスという人物。
じつはアリアドネーにラビリントスからの脱出方法を教えたのは、設計者であるダイダロスだったんです。
今日お話しているエピソードののち、ことの次第を知ったクレタ王は大いに怒り、ダイダロスを息子イカロスと共に塔に閉じこめてしまいます。
ダイダロスとイカロスは、塔の中に落ちていた鳥の羽根を拾い集めて大きな翼をつくり、脱出を図るのですが、その途中、イカロスは太陽に近づきすぎてしまい、羽根を接着していた蝋が溶けて、まっさかさまに墜落してしまうという有名なお話にもつながっていきます。
アントニオ・テンペスタ『イカロスの墜落』
“Val van Icarus” by Antonio Tempesta via he Rijksmuseum (the national museum of the Netherlands)
さて、お話をテセウスとアリアドネーに戻します。迷宮を脱出して首尾よくこどもたちを助け出したテセウス、アリアドネーとともにクレタ島を脱出しまして、一路、船でアテネへ向かいます。
これ以降のアリアドネーの運命については諸説があるのですが、ぼくの一番好きなエピソードをご紹介します。 アテネへ向かう途中、船を休ませるために停泊したとある島で、テセウスは夢の中でアテネの守り神のお告げを受けます。
それは「アリアドネーはアテネに災いをもたらす存在である、連れてきてはならぬ。彼女を置いて、すぐに出発せよ」というものでした。
アンゲリカ・カウフマン『テセウスに捨てられたアリアドネ』(1774年)
“Ariadne Abandoned by Theseus” by Angelica Kauffmann, Public domain, via Wikimedia Commons
アテネの王子であるテセウスにとって、守り神のお告げは絶対です。背くわけにはいきません。
どうしようもなく、テセウスは、後ろ髪をひかれながらも、眠るアリアドネーを置き去りにして、船を出すほかありませんでした。アリアドネーが目覚めた時には、テセウスの船はもう島をはるか離れた後。彼女は悲しみに打ちひしがれます。
当時その島を支配していたのが、豊穣とぶどう酒の神、デュオニソスでした。デュオニソスは悲しみにくれるアリアドネをやさしく慰めて、彼女を妻に迎えました。
ディオニューソスとキタラを持つアリアドネー
“Dionysos wearing the mitra and holding a thyrsus with Ariadne playing the kithara” Louvre Museum, Public domain, via Wikimedia Commons
結婚のあかしとして、デュオニソスは、宝石を散りばめた黄金のかんむりをアリアドネに送りました。こうして、彼女はこの島で暮らすことになったんです。
幸せな月日が流れたのち、神ならぬ身のアリアドネには、死が訪れる時がきます。アリアドネが亡くなると、ディオニュソスは、その形見のかんむりをそっと星空の中に飾りました。
これがかんむり座になった、と伝えられています。
星空に飾った、想い出のティアラ。いかがでしょう、そんなお話を思い浮かべながら、晴れた夜には、星をみあげてみませんか。